アメフト 甲子園ボウル  日本大学 VS 関西学院大学

日本大学アメフト部が、事件以来の3年ぶりの甲子園ボール

母校の活躍を応援しましたが、惜敗。
いい戦いだったと思います。
頑張りにエールを送りたい。

日大の名将 篠竹監督 監督が、
「フットボール界の空は、青か赤であったはずなんだ」
と いった ライバル戦です

青と赤は、ユニホームの色から 赤(日本大学フェニックス)と青(関西学院大学ファイターズ)です。

3年前の 笛が鳴った後の後ろからのタックル事件。
とても残念でした。

なぜ、あの事件が起こったのか?
篠竹監督は1959年から44年間 日大アメフト部の監督をされた方です。
私が1歳の時から監督だったんですね

私の大学時代は、ショットガンフォーメーションで、甲子園ボールを沸かしていた時期でした。

とても厳しい監督でしたが、選手の中に入っていく、選手との関係性を大事にした監督のようです。

SNSからの引用ですが 篠竹幹夫監督について
「オヤジは選手と一緒に風呂に入ったり、マージャンを教えてくれたりして選手とコミュニケーションをとっていた。スパルタと世間は言うけど、自分はそうは思わない。楽しかったですよ。そこには『へたくそ』を『日本一』にしてやるというオヤジの気持ちがあったから。信頼できたんです」
とOBが語っています。生活をともにして、生徒のコンディションを詳細まで把握、生徒が何を考えているかまでも把握していたのではないでしょうか。
また、篠竹幹夫監督は常に「サムライたれ」と指導し、私生活の乱れはそのまま練習や試合に悪影響を及ぼすとの信念を持っていました。
篠竹幹夫監督は対戦相手のOBからこのようなことを言われたことがあるそうです。
「日大さんが帰ったあとのロッカールームは、ちり一つ落ちていない。あれには本当に感心させられますなあ」
生徒に対し、アメフト選手としてだけではなく、人間としての成長をしてもらうために接していたことが伺えます。

生徒との関わりを大切にしていたのですね。

 

2009年 篠竹監督が辞めた後の日大アメフト部には、勝つことが求められたのではないかと感じています。
内田監督にも勝つことが求められていた。残念なのは、選手とのコミュニケーションをとっていなかったようです。
タックル事件は、コミュニケーション不足、選手と監督とコーチの関係性の質があまりよくなく、その結果、選手たちが忖度する。そんな中で起こった事件ではないかと感じています。
関係が良くないのは、事件後の記者会見でもわかります。
たとえ強くても、勝つことだけを考えている結果生まれた事件だんではないかな。

今回、監督が 橋詰監督になりました。
量から質へ、考える選手を育てる方向に変わりました。選手の思考の質を変えました。
チームに宮川君をどうやって迎え入れるか? 選手たちは、関係性を上げるために努力しました。
その結果が、勝ちにつながり、甲子園ボールにつながったのだと思います。

「フットボール界の空は、青か赤であったはずなんだ」

篠竹監督が 関西学院大学に送った言葉を、自分たちへのエールとして頑張ってほしいです

母校のこれからの活躍を楽しみにしています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です