加賀藩の穴生衆

5月7日の北陸中日新聞の記事です

金沢城石垣被害技途絶え拡大か

明治に入ると、前田家の石積み集団の穴生衆がいなくなり、石積みが弱くなった。
技術の伝承がなくなったのが、今回の金沢城の石垣が崩れた原因のひとつのようです。

江戸時代にはいり平和な時代が続き、石垣の積み方も変ってきました。
このことも、石垣が崩れた原因のようです。

金沢城にある最古の石積みの野面積みが、最も地震に強いようです。
穴太衆の最後の1軒、滋賀県坂本の粟田建設さんよると
表面を削って面合わせした石積みは、滑りやすいとのことです。

この記事を読んで最初に浮かんだのが
塞王の楯 今村翔吾著 の小説です。

戦いに強いだけでなく、地震などの天変地異にも強い
すごい技術力です。

加賀藩にも穴生衆がいたかと思うと
なんだかワクワクします。

技術の伝承も難しい物があると感じました。

 

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